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    ぴかぴか

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姫路駅名物まねきのえきそば

2010年05月20日[00:25:55]
ゴールデンウィークに入る直前、神戸新聞の記事で、「『姫路駅名物まねきのえきそば』が日清食品から限定販売される」というが掲載されていた。

日清食品のまねきのえきそばのページでは、商品紹介やコンセプトから原材料成分や生産国が詳細に書かれている。

姫路駅名物まねきのえきそば
(杉本町のファミマでディスプレイしたものを発見)


発売日がいつと書かれていなかったので、ゴールデンウィークの間、何度もコンビニやスーパーのカップめんコーナーを覗いたが、Google先生に聞いておけばよかった。
5月17日からだったのね。(いや、見落としたのかもしれないが。)

5月17日、かみさんから今日発売らしいから探しとくという嬉しいメールがあった。
しかし、その日かみさん達はあちらこちら探してくれたそうだがどこも売り切れになっていたようだ。
一緒に近くのローソンに立ち寄ったが、おいてあったらしきカップめんの棚がガラーンとなっていて、ファミマのWシューエクレア以来の光景を見ることとなった。

姫路にいるのに姫路駅名物を欲しがるなんて?と思うかもしれないが、この「まねきのえきそば」は、基本的に姫路駅に行かないと食べられないそばである。一部スーパーで生めんキットで売っていたり、駅付近に1件店があったように記憶しているが、食べたいなぁ~と思った時にたべられるというものではなかった。

駅のホームで食べるこのそばの味は、初めて食べるとちょっと違和感があって、???と思うかもしれない。
実際出されたそばをみて、「えーっ」と言っている人を何度かみたことがある。
しかし一度食べると、この味が忘れられないという人が圧倒的な、不思議な人気があるそばだ。
ホームが高架になる前は、俺もよく食べていた。
寒い冬場は特に、お店の中でグラグラと沸騰しているだし汁を黄色い中華めんにかけ、安っぽい油のしみたぺらっとしたほとんど衣以外ない天ぷらをのせたそばに、たっぷり一味をかけて食べるのが大好きだ。

翌日、娘が学校の帰りに現物をゲットしてくれたのだが、ゆっくり味わいたいのでまだ食べてない。
既に食べた娘たちからはおいしいという話は聞いている。
記憶に残っている味と同じだったら嬉しいなぁ。

いずれはなくなる商品だろうから、大人買いしておこうかしら。
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親父のこと

2010年05月03日[18:02:34]
昨年末にボストンからの記事を書いて、2月にJeffのNYCodeSpringの紹介をして以来、何も更新していませんでしたね。

1月になったら、ブログの更新を始めようと決めていたのに。
毎日通る姫路城のお堀の桜が葉桜から若葉に変わりました。
去年の今頃、朝、会社に向かう途中の姫路城のお堀の桜を携帯電話で撮影して、親父に送ったことを思い出しました。
IMG_0513.jpg

ちょうど今頃、親父が病院に入院していました。
小細胞性肺癌という病気にかかり、3月の中頃から入院したのです。
桜の頃は、抗がん剤治療の副作用で間質性肺炎にかかり、大変苦しんでいました。
西大寺でグリーンフェスティバルがあって、お袋と二人でボランティアを申し込んでいたそうですが、とてもそんなところまで出かけていけるような体力はありませんでした。
4月はかみさんと毎週実家に通って、病院まで様子を見に行っていたのを思い出します。かみさんは親父の顔を見るとすぐに涙をためてしまうので、写真に写る顔はいつも目が赤くなってました。

携帯電話で親父とやり取りしたメールは今も残しています。
さびしくなると時々読み返します。
親父には毎日朝に夕にメールを送りました。
メールが返ってくる日は少し体調が良いようでした。
たくさん文章が打てる日は、集中できるほど体調が良いようでした。
今日は体調が良いようだねとかみさんと話したのを覚えています。
亡くなる1週間まではまだメールが打てたのに、最後の1週間は、目もよく見えなくなって字も書けなくなり、いつもつけていた闘病日記の薬の覚書も鉛筆でちいさな●をひとつひとつ、それが薬ひとつだと言うのさえ難しくなっていました。

最後の入院からは、癌から放出される悪液質のホルモンが脳を異常にして、怒りひどい口調になったり、幻覚が見えたりしたようです。
それでも、7月1日になれば年金が二人分もらえるよというお袋の言葉を聞いて、頑張らないとと思ったのか、何度も悪化する呼吸困難や血圧の低下に耐えていました。
そして7月1日になったとお袋から聞いたあと、息を引き取ったのでした。

親父は頑張り屋です。
末期の肺癌なのに、痛いとも苦しいとも言わず、毎週末に実家に帰る私たちをもてなすために、週末に向けて体力を貯めているほどでした。
とうとう貯める力もなくなった最後の週末、俺をベットの横に呼んで、わしゃもうなごうねえぞ、すこうし力を分けてくれといった時の親父の顔は笑っていましたけれども、目の奥は深い色をしていました。


親父が俺にもうだめだといったのは、これが最初で最後です。
その言葉に十分に応えてあげられなかった思いは残りました。

親父が亡くなってからも、ほとんど毎週実家に帰っていました。
葬式の後実家に泊まった夜、寝ていたお袋がおとうちゃんおとうちゃんと呼ぶ声がして、ベットを覗くと、隣の台所にいた俺の気配を親父と思い、寝言をいっていたようでした。このままだと、長い間一人にしておくわけにはいかない様子なので、毎週帰っていたのです。
年が明けて今度はお袋が田んぼに落ちて腰を骨折し入院することになりました。
退院したお袋は、前よりも少し体の自由が利かなくなったので、親父が亡くなった後すぐくらいの精神状態に戻ってしまったようです。
まだまだ元気なのはいいのですが、口が悪いのも活発になったようで、また親父のように癌ができたんじゃないかと心配しながらも、あまりの発言にゲッソリしているところです。

まあ、、、、そんな近況です。
ああ、親父が生きていてくれたらなぁ。

おやじとおふくろ コメント:0 トラックバック:0 [Edit]  Top Page.△

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